10年前の話
突然だが、わたしは「カントリーロード」が好きだった。図書館の描写が好きだ。
天沢聖司の名前が残っている図書カードが愛おしいくらい大好きだった。
小さい頃から本に触れていたわたしは、本が好きな子どもになり、小学校では積極的に図書館を利用していた。近所の図書館も、移動図書館も利用した。
司書さんに書いてもらう図書カードが嬉しかったが、子どもの頃からシャイな性分のせいで、お母さんに頼むことが大半だった。今思うと勿体無いことをしたと感じる。
ようやく、小学四年生になって、初めて委員会を選ぶことになった。もちろん、迷いなくわたしは図書委員を志願し、長年の思いが叶いようやく図書室に身を置くことができたのだ。
字をそれなりに綺麗に書く努力をして、図書委員の初めての集まりに参加した。司書の机には大量のファイルがあって、図書カードがあったはずの棚がなくなっていた。
仕事内容が書かれたプリントが配られて、愕然とした。「バーコード」「読み取り」「ログイン」の言葉の羅列の意味をわかってしまう自分が嫌になる。よりにもよって、やっと、やっと図書委員になれて本を扱える年に、図書カードが完全に廃止された。
司書さんが、「春休みに頑張って、地域の人と協力して、全蔵書にバーコードを貼ったの」と言っていたのを聞いて、何も言えなくなった。わたしは、上級生よりも早くパソコン操作を覚えて、はじめての貸し出しをやった。でも、嬉しくなかった。
それから、現実と理想が違いすぎたことで、幼いわたしは完全に心が折れてしまい、次第に図書室から足が遠のいた。
ソファーや人気の図書が置かれ、図書室を使う授業でも、退屈することはなくなったが、それでもやっぱりバーコードが許せなくて、本を借りることはなかった。
気付けば、どこの図書館もパソコンで貸し出しを行い、蔵書の検索もパソコンになっていた。慣れない手つきで本を読み取る仲の良い司書を見るのが苦しくて、なるべく目を背けるようになった。どうしてかはわからないけど、多分理想打ち砕かれた瞬間に、何もかもが嫌になったのかもしれない。
そんなことを思い出して、わたしは大学の図書館で、スマホを使い本を検索し、自動貸出機で司書と対面せずに本を借りた。ひどく自己嫌悪してしまう。10年前のわたしが見たらきっと軽蔑するに違いない。
Defiledが呼び起こしたのは、わたしが本に対して抱いてきた幼い頃の思いだ。きっと、本が大好きなハリーに、知らぬ間に入りこんでしまったのかもしれない。
5年前の、図書館への思い、10年前の図書カードへの執着……そして今、わたしはDefiledという演劇に出会った。まるで、ここまでの流れが運命か、何かのように繋がっている。2017年の春に見た、青山クロスシアターでの世界は、確かにわたしの人生に必要なものだったのだ。
伝打伝助を経て、今思える。
わたしは、本が好きで、図書館が好きで、アナログに憧れていた。ハリーの孤独や絶望、そのマイナスの感情を全部救いきれるわけじゃないけど、あの日、観劇中にひどい耳鳴りに襲われたのは、過去のわたしからの熱烈なメッセージだったのかもしれない。